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ヒマつぶし情報

2018.09.12

【キタコレ!】北口美愛の「私の家の話」

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昨年の夏、3年間所属した事務所の寮を出ることになり、わたしは今の家に越してきた。

この家の大家さんであり友達でもある人が、「楽しい新生活を」と部屋の改装作業を進めてくれていたのだけど、予定よりも引越しが早まったせいで改装作業の終了を待たずに住まざるを得ない状況になり、未だにわたしは、この家では土足で生活している。

寝室の床は畳を剥がされむき出しになったベニヤ板で、外の地面と大差ないくらいに埃っぽかった。

手前の部屋には切り株模様の角材がギッシリ詰まっていて、たまに隙間に足を引っ掛けて転びそうになった。

わたしは最後の荷物を運び終えたあと、備え付けのベッドの上に横たわった。

カチコチのマットレスの感触を背中で味わいながら、「とんでもないところに越してきてしまったな。」とボンヤリ思った。

「シーツを買いに行かなきゃ」とか「掃除しなきゃ」とか、頭の中ではこれからやらなきゃいけないことがいくつも浮かんできて、山積みのダンボールは急き立てるようにわたしのことを囲っていたけれど、季節は夏で、部屋の中は蒸し暑く、何もする気になれなかった。


多分、初めてベッドに横になったあの時が一番不安だった気がする。

何せ、部屋は土足、シャワーも満足に浴びられないような家なのだ。

一階にシャワーを浴びに行こうとすると、一階を間借りしてカレー屋を切り盛りしているにいちゃんが寝袋で寝泊まりしていて、どうすることも出来ず、チャリを飛ばして漫画喫茶に行く羽目になろうとは、この時のわたしは知る由もなかった。

家がボロい以外の面でも心配事が多かった。

わたしは事務所を離れてからの新しい住処がとんでもないボロ屋であるというこの悲惨な状況を、なるべく楽観的に、ロマンティックに捉えようと必死になったが、何故かふと、駅前でビッグイシューを売るおじさんが脳裏をよぎった。

わたしは先行きが不安になると、ビッグイシューのおじさんを思い出す癖があった。

どこかで、わたしもいつかああなるのかも知れないな。と常に考えていた。

まだ見ぬ未来に課金するみたいに毎月ビッグイシューを買う自分。

わたしはこの時、東京という街で落ちこぼれていく感覚に駆られることがどれだけ怖いかを思い知った。

引っ越しが終わった後は、以前の生活を失った寂しさや未来への恐怖や不安を振り払うように、忙しない日々が過ぎて行った。

生活が落ち着いて来くると、わたしはたまに家に人を呼ぶようになった。

家に遊びに来た人は、皆さまざまな感想を置いて帰っていく。

それも女子と男子では感想も大違いで、なかなか面白いのだ。

女子は「スゴーイ」とか「カワイー」とか言ってパシャパシャ写真撮ったりしているのだけど、男子は違う。

いろいろと分析して、なんだかこそばゆいなぁというようなことを言ったりする。

例えば地元の幼馴染の男の子が家に遊びに来た時は、細長いアゴを撫でながら神妙な面持ちで部屋を観察したあとで一言、「球体関節人形があれば、澁澤龍彦の家やな。」などと大それたことを抜かして、わたしを呆れさせた。

また違う日に映画監督と写真家の男が遊びに来たときは「イヤァ、君の部屋はインテリアが洒落てるだけじゃなくて、あそこに歯ブラシとか化粧落としとか、生活感のあるものが混在してるのがまたいいよねぇ」とか感じ入っていた。

そういうことを言われて嬉しくないわけではなかったのだけれど、何を言われても自分にとってこの家が成れの果てであることには変わりない。

だからあまり熱っぽく家のことを褒められたりすると、顔ではヘラヘラ笑いながら「いやいやこの家、冬寒すぎて心削られるし、夜中屋根裏でネズミ走り回っててうるさくて眠れないし、工夫しつつ楽しく住まないとやってらんねーだけだから。」と、

引越し当初のわたしが心の中で顔を出すのか、不思議なくらいひねくれてしまう自分がいた。

終いには彼らは、ここで映画撮ろう、映画!とか言い出しちゃったりなんかして、本当男って現実見えてないのね。

と、自分で家に呼んでおいて偉そうなことを思ったりしたものだ。




わたしは今、部屋でひとりこれを書いているのだけれど、改めてこうして部屋を眺めてみると、自分の趣味に合った雑貨や本や家具がギュウギュウに詰まっていて、そのギュウギュウさといったら、溺れそうになるくらいだ。

すべてから、この家を好きになるための努力が匂い立っている。

情けないけれど、もしかすると、部屋を可愛らしく飾り立てることはわたしの言い訳だったのかも知れない。

本当は陽当たりが良くて、湯船が大きくて、床暖の付いた家に引っ越したかった。

床暖は贅沢だけど、せめてこの家がまともに暖房が機能する家だったら良かったのに。

わたしは寒いのが苦手だ。

でも、いろいろ言ってはいるが、今となっては割とどうでもいいと思っている。

人はあるところを超えると、何もかもがどうでも良くなるみたいだ。

もうわたしは何も求めていない。

部屋の地面はモップをかけて綺麗にするし、壁に穴が開いてたら塞ぐし、にいちゃんが寝てたら銭湯か漫画喫茶に行くし、寒かったら暖まる方法を一生懸命考えるし、ネズミが来たら去るのを粛々と待ちます。

寝床さえあれば十分です。

今書いてて思ったけど、わたしの住環境って外とそんな変わんなくない?

今度ビッグイシューを買うときは、おじさんに寒さを凌ぐ方法を教えて貰おうかな。

屋根があるだけ良いだろって怒られるだろうか。





レポーター

北口美愛


1996年イギリス生まれ。
岐阜県高山市で育つ。
役者や歌手など、幅広く活動中。




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